今回は歴代最高日本シリーズについてです。生まれた年代などによって人それぞれだと思います。
さおたまたいさは非常に悩んだ末に1983年(昭和58年)日本シリーズの読売ジャイアンツVS西武ライオンズのGL決戦を1位に挙げました。
1992年、1993年の2連続のヤクルトスワローズVS西武ライオンズと悩みましたが、1983年(昭和58年)GL決戦を挙げました。それまで球界の盟主といわれていた読売ジャイアンツと西武ライオンズの球界の盟主の座を賭けた戦いです。
試合を振り返る前に簡単に当時の日本シリーズに関して現在との違いや当時のGLについて書きたいと思います。
当時の日本シリーズはDH制はありません。パリーグ本拠地でもDH無となります。(DH制が日本シリーズで初めて採用されたのは1985年の阪神タイガースVS西武ライオンズ戦からになります。)
また試合は全てデーゲームで行われていました。(1964年の阪神タイガース対南海ホークスは東京オリンピックの開催の兼ね合いでイレギュラーでナイター開催が行われましたが、観客動員数が伸びず、今では考えられませんが甲子園で行われた4試合中3試合で観客が2万人を割り込んでいます。
ナイターが採用されたのは1994年読売ジャイアンツと西武ライオンズ戦での平日開催の第3-5戦(西武球場)で行われ、その評判も高かったことから1995年のオリックス・ブルーウェーブ対ヤクルトスワローズ戦以降は全試合ナイターとなりました。
また、野球と少し話題がそれますが、西武グループの総帥である堤義明氏はフォーブス誌の「ビリオネアランキング」で1987年~1994年の8回中6回トップになっています。(1991年、1992年は森泰吉郎(森ビル創業者)(バブル時代の日本ですが、今の時代でももっと日本人が上位に出てきて欲しいと思います。)
日本シリーズの話に戻りますが、先程話をしたように当時はデーゲームですが、7試合中3試合がテレビ視聴率40%を超え、日本シリーズは今で言うとサッカーW杯のような世間で注目される試合でした。
通常の日本シーリーズを最終的に終わって振り返ると、勝敗を分けた勝負のポイントなどが分かりますが、この日本シリーズは終わって振り返ってみても、勝敗を分けたポイントが分かりません。
サヨナラゲームが3試合、第3戦以降は先制点をとったチームが必ず負けるスリリングなゲームが続きます。これだけ読むと、守備力がなかったとか、両監督の投手交代のタイミングがよくなかったのではないかと思う人がいるかもしれませんが、それもありません。
1983年10月29日 第1戦(西武ライオンズ球場)
読売ジャイアンツ 0 0 0 0 0 3 0 0 0 3
西武ライオンズ 1 5 0 0 0 0 0 0 X 6
1983年10月30日 第2戦(西武ライオンズ球場)
読売ジャイアンツ 2 0 0 0 0 0 1 0 1 4
西武ライオンズ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
1983年11月1日 第3戦(後楽園球場)
西武ライオンズ 0 1 0 0 0 3 0 0 0 4
読売ジャイアンツ 0 0 0 2 0 0 0 1 2X 5
1983年11月2日 第4戦(後楽園球場)
西武ライオンズ 0 0 1 0 2 0 0 3 1 7
読売ジャイアンツ 2 1 0 0 0 1 0 0 0 4
1983年11月3日 第5戦(後楽園球場)
西武ライオンズ 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2
読売ジャイアンツ 0 0 0 0 0 0 2 0 3X 5
1983年11月5日 第6戦(西武ライオンズ球場)
読売ジャイアンツ 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 3
西武ライオンズ 0 0 0 0 1 1 0 0 1 1X 4
1983年11月7日 第7戦(西武ライオンズ球場)
読売ジャイアンツ 0 0 1 0 1 0 0 0 0 2
西武ライオンズ 0 0 0 0 0 0 3 0 X 3
この結果だけを見ても逆転に次ぐ逆転、死闘の連続の試合をいうことが分かるかと思います。
野球は「一球で流れが変わる」「ツーアウトから」と言われますが、そんな言葉を実感する試合ばかりです。あえて、シリーズのターニングポイントをあげるとしたら、第6戦の9回裏西本聖投手の登板でしょうか。この年は読売ジャイアンツエースの江川卓投手が不調で西本聖投手が大車輪の活躍でした。
第2戦では完封勝利、27のアウトのうち21が内野ゴロという持ち味の発揮されて投球内容でした。
続く第5戦で2失点(自責点1)を与えましたが、当時日本シリーズ連続イニング無失点記録(26イニング)の稲尾和久さんの記録を25年ぶりに更新(29イニング)し、抜群の投球内容でした。
そんな西本聖投手ですから、第6戦9回表に中畑清選手の逆転の適時三塁打で巨人はこの9回裏を抑えれば日本一になる場面での藤田元司監督の西本聖投手投入は批判できない采配だと今でも思っています。
(江川卓投手はこのシリーズは故障を抱えていましたが、第7戦の先発から外れる事が決まっていたため第6戦はリリーフの準備をしていて、逆転の時には故障がどうなってもいいから投げきると言ったと言われています。)藤田元司監督は「情の采配」を振るうといわれますが、この采配を結果論で否定する人達もいますが、さいたまたいさは100%指示しています。
また、広岡監督の采配もシーズンとは違う投手起用をもちいたり、他でも書いた事がありますが、
日本シリーズでシーズンと同じ戦い方をするという監督もいますがはっきりと間違いです。
このシリーズは両チームの監督・コーチ・選手とも全て出し切って戦った最高の日本シリーズだと思います。ちなみにシリーズはデーゲームでしたが、学校の理科室のテレビで先生が見せてくれたのを覚えています。当時はなんていい先生だと思っていましたが、今思い出すと単に先生が見たかっただけなのかもしれません。(笑)