野球におけるスイッチヒッターは左右両方の打席でバッティングを行う選手の事です。一般的には相手が右投手の場合は左打席に、左投手の場合は右打席に立つ場面が多く見られます。これは、投手の利き腕に対し反対側の打席に立つ方が見やすく有利であるとの理由のためです。
柴田勲(元:読売ジャイアンツ)
日本にスイッチヒッターを広めた選手です。
スイッチヒッター初のNPB通産2000安打達成者で、松井稼頭央選手含めて2人しか達成していません。
V9時代のリードオフマンとして活躍し通産579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録となっています。また、V9時代のONが先発出場しながらそれを抑えて4番を務めた事があるのは、この柴田勲選手だけです。「赤い手袋」の異名でオールドファンの中でスイッチヒッターといったら、この柴田勲選手だと思います。
西岡剛(元:阪神タイガース)
近年のスイッチヒッターと言えば、この西岡剛選手を思い浮かべる人が多いと思います。NPBで14年、MLBでも2年プレーしており、第一回のWBCでも大活躍で、アメリカ戦でのあの世紀の大誤審の際のタッチアップしたランナーで覚えている人も多いのではないでしょうか。
千葉ロッテマリーンズ時代の2010年に記録したシーズン206安打は、内野手およびスイッチヒッターとしてのシーズン最多安打記録となっています。
高橋慶彦(元:阪神タイガーズ)
個人的にスイッチヒッターの中では一番印象に残っている選手です。
33試合連続試合安打は現在でも日本記録となっています。
広島東洋カープの伝統的な打って、走って、守れるを象徴するような選手で、山崎隆造選手や正田耕三選手などにも影響を与えました。
NPB通産17年で打率.280、1826安打、477盗塁(歴代5位)の記録を残していますが、個人的には記録以上に記憶に残っている選手です。
オレステス・デストラーデ(元:西武ライオンズ)
助っ人外国人選手の中でもスイッチヒッターの筆頭に挙げられる選手です。
西武の黄金時代を牽引した選手で、1990年~1992年は3年連続本塁打王、1990年、1991年は2年連続の打点王を獲得しています。
またポストシーズンにも非常に強く日本シリーズにおいて、1990年は読売ジャイアンツ戦、1991年は広島東洋カープ戦、1992年はヤクルトスワローズ戦の第1戦で3年連続で第1打席に本塁打を放っています。
松井稼頭央(元:西武ライオンズ)
最後に紹介するのは、歴代スイッチヒッターの中で史上最高の声も多くある松井稼頭央です。柴田勲選手の時にも紹介しましたが、スイッチヒッターで名球界入りの選手は柴田勲選手と松井稼頭央選手の2人だけとなります。
松井稼頭央選手の一番の特徴は、数々の選手より褒め称えられる身体能力ではないでしょうか。俊足、巧打、長打、強肩、好守を持つ5ツールプレイヤー(Five-tool player)として評価されており、松井稼頭央選手と一緒になった数々の選手や監督などからナンバーワンの身体能力と言われています。
通産記録はNPB17年、MLB7年と長期に渡り活躍をし、通産で安打2,705本(NPB2090安打、MLB615安打)通産465盗塁(NPB363盗塁、MLB10盗塁)
など数字面でも非常に優秀な成績を残しています。