ドラフト会議は毎年ドキドキしながら見る野球ファンは多いと思います。
これは2019年に書いた記事になります。
埼玉大佐も、自分が評価している選手はプロのスカウトからはどのように見られているか、また意外な選手を発見できたり非常に楽しい野球界の催しのひとつです。
今年(2019年)の注目は、高校生としては、佐々木朗希投手(大船渡)や奥川恭伸投手(星稜)、西純矢投手(創志学園)、及川雅貴投手(横浜)などでしょうか。
大学、社会人としては、森下暢仁投手(明治大)や宮川哲投手(東芝)あたりでしょうか。
昨年のドラフト会議では、高校生野手が話題の中心となりましたが、2019年のドラフト会議は投手中心になるのではないかと思います。
今回はそのドラフト会議で多数指名されて選手を紹介します。
野茂英雄 8球団 1989年 新日鉄堺
ドラフト史上最多競合数といえば、野茂英雄です。
アマチュアNo.1投手としてソウル五輪での銀メダル獲得に貢献。
近鉄、ロッテ、大洋、日本ハム、阪神、ダイエー、ヤクルト、オリックス の8球団が競合しました。
1年目より投手四冠(最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率)に加え、パリーグMVP、新人王、ベストナイン、沢村賞を受賞しています。
この1990年のドラフト会議は、1968年のドラフト(代表選手:山本浩二、田淵幸一、星野仙一、山田久志、福本豊、加藤英司、有藤道世、東尾修、大島康徳などの蒼々たるメンバーが名を連ねています。)についで「大豊作」の年と言われており、野茂英雄をはじめとして、与田剛、佐々岡真司、西村龍次、潮崎哲也、古田敦也、石井浩郎、佐々木主浩、小宮山悟、前田智徳、新庄剛志 など豪華なメンバーが揃っています。
小池秀郎 8球団 1990年 亜細亜大学
野茂英雄投手同様に8球団に指名された選手は、翌年の小池秀郎投手です。
ロッテ、阪神、ヤクルト、中日、日本ハム、近鉄、広島、西武 の8球団が指名しています。
このドラフトでは交渉権をロッテが獲得しました。
しかし当時のロッテは川崎球場本拠地で常に閑古鳥が鳴く状態の球団で、小池秀郎投手は入団を拒否しました。
当時のドラフト会議をテレビで見ていましたが、亜細亜大学の会見場でロッテが交渉権獲得の案内の際に「え~~」という生徒のざわめきが当時のロット球団の世間での印象を表していると思います。
その後松下電器へ進み、1992年のドラフト会議で近鉄に指名され入団を果たしています。
福留孝介 7球団 1995年 PL学園高校
高校生での歴代1位となる7球団重複となりました。
PL学園の歴代でも清原和博選手と並び称されていた注目スラッガーでした。
近鉄、巨人、中日、ヤクルト、日本ハム、ロッテ、オリックス の7球団が競合しました。
この時の交渉権獲得のくじを引き当てた近鉄の佐々木恭介監督が「ヨッシャー」と叫んだのは有名です。
しかし福留孝介選手は、ドラフト前に巨人、中日以外の指名があれば日本生命入りを表明していましたがこの言葉通り、交渉権は近鉄が獲得しましたが入団を拒否しました。
その後日本生命から1998年に逆指名で中日にドラフト1位で入団します。
清宮幸太郎 7球団 2017年 早稲田実業高校
こちらはつい最近ですので、覚えている人も多いかと思います。
小学校時代より注目され、高校では通算111本塁打を記録しました。
当初は漫画ドカベンの山田太郎に匹敵する11球団が指名すのではとの話まで出ました。
実際には、ソフトバンク、日本ハム、ロッテ、ヤクルト、楽天、巨人、阪神 の7球団が競合しました。
その中で交渉権を獲得したのでは、日本ハムです。
現在プロ2年目(※2019年時)で大きな成績は残せていませんが、まだまだこれからの選手ですので日本を代表するような選手に育ってほしいと思います。
他、6球団は1979年:岡田彰布(早大)、1985年:清原和博(PL学園)、2007年:大場翔太(東洋大)、2009年:菊池雄星(花巻東)、2010年:大石達也(早大)、2016年:田中正義(創価大)などがいます。
これらの競合多数の選手の内、岡田彰布選手以外はパリーグが交渉権を獲得していることが、最近のパリーグが交流戦や日本シリーズでもセリーグに比べて勝率が高い事と無関係ではないと思います。