今回はプロ野球でドラフトの下位で指名された選手の中から何人か紹介したいと思います。
ドラフト下位で指名した選手が活躍するとスカウト妙味につきるのではないでしょうか。
埼玉大佐が一番やりたかった仕事は実はプロのスカウト活動です。
イチロー(1991年ドラフト4位:オリックスブルーウェーブ)
最初はイチロー選手です。
もはや野球をよくしらない人でも名前は知っている平成を代表するスーパースターです。
イチロー選手の野球実績に関してはいまさらここでは触れません。
埼玉大佐的にはこういったタイプの高校球児がプロ野球で覚醒する可能性があるという意味で見ていました。野球というスポーツは道具を使用するスポーツです。
よく身体の一部のように・・・とフレーズがあるように、パワーが桁違いにある、スピードが桁違いにある、反応スピードがとてつもない というスポーツは身体能力が相対的に高い黒人選手が一般的に優れている選手が多くでてくるのは仕方のないことだとおもいますが、イチロー選手はもちろん身体能力も高いですが、卓越したバット技術で世界トップと渡り合った選手ではないでしょうか。
イチロー選手の同世代として野球を見れた事は非常に嬉しい事だと思います。
掛布雅之(1973年ドラフト6位:阪神タイガース)
埼玉大佐の世代でドラフト下位選手のイメージが一番強いのはミスタータイガースと評される掛布雅之選手です。
現役時代は阪神タイガース一筋15年で、ホームラン王3回、打点王1回、ベストナイン7回、ゴールデングラブ6回、オールスターMVP3回と数多くのタイトルを獲得しています。
1979年に田淵幸一選手が西武ライオンズに移籍した年に本塁代48本でセ・リーグの本塁打王となり、以降はミスタータイガースにふさわしい記録にも記憶にも残った選手です。
福浦和也選手(1993年ドラフト7位:千葉ロッテマリーンズ)
ドラフト会議では全体70選手中70番めの指名と本当の最下位指名された選手です。
ロッテ一筋25年(一軍実績は22年)で通産2000本安打も放ち名球界入りしています。
高校時代は習志野高校で投手としてプレーしていましたが、各球団とも投手としてみていたための下位指名だと思われます。
プロ入り後、肩の故障で打者に転向し活躍します。バットコントロールは天下一品でイチロー選手同様にバットコントロールは非常に高い選手でした。
埼玉大佐も高校野球を見る際の参考としていた選手の一人です。
佐々木誠(1983年ドラフト6位:南海ホークス)
最後に紹介したい選手は佐々木誠選手です。
南海・福岡ダイエーホークス、西武ライオンズ、阪神タイガースなどで16年間通産1599安打を放っています。
走行守の3拍子揃った選手で1992年には打率.322で首位打者、40盗塁で盗塁王を獲得しています。
全盛期は「MLBに最も近い選手」とも呼ばれ、埼玉大佐も同様に思っていました。
個人的にもこういった走行守の3拍子揃ったバッターが好きです。最近の野球ファンで知らない人は同タイプとして前田智徳選手と福留孝介選手を足して2で割った選手のイメージと言えば伝わるでしょうか。