" /> 夏の甲子園ノーヒットノーラン達成投手 | さいたまたいさ

夏の甲子園ノーヒットノーラン達成投手

野球

もう少しで夏の甲子園予選が始まります。
数年前には大船渡高校の佐々木朗希投手(現:千葉ロッテマリーンズ)の県大会決勝の登板回避が世間で話題となりました。
今回は夏の甲子園でのノーヒットノーランを達成した投手について書きたいと思います。
王貞治選手も早稲田実業高校時代に達成している事は有名ですが、実際には見ていませんので
昭和50年以降のみにしています。
ちなみに夏の大会では完全試合達成の投手は出ていません。

工藤公康(名古屋電気高校:現愛知工業大学名電高校)/第63回大会(1981年)

第63回大会(1981年):2回戦で長崎西高校相手の達成しています。
このノーヒットノーランは金属バット採用後は初めての記録です。
準決勝で金村義明投手の擁する報徳学園高校に敗れてしまいますが、大会を代表する投手として話題となりました。

新谷博(佐賀商業高校)/第64回大会(1982年)

工藤投手達成の翌年第64回大会(1982年):1回戦の木造高校戦で達成されています。
実は9回二死まで完全試合ペースでした。27人目の代打選手に死球を与え完全試合を逃してしまいます。安打を避ける事を優先しての内角への投球でしたが、結果として今だ夏の甲子園での完全試合達成がいないという事をみると少しもったい気持ちになります。

芝草宇宙(帝京高校)/第69回大会(1987年)

第69回大会(1987年):2回戦の東北高校戦での達成です。
宇宙と書いてひろしと読みますが、当時はその名前で有名となりました。
3回戦の横浜商業高校戦、準々決勝の関西高校戦でも完封勝ちを収めますが、準決勝のPL学園戦では、5-12で敗れてしまいます。

杉内俊哉(鹿児島実業高校)/第80回大会(1998年)

第80回大会(1998年):1回戦の八戸工業大学第一高校戦での達成です。
この年は後程紹介する松坂大輔投手も達成しており、いわゆる松坂世代と言われた大会です。
杉内俊哉投手も県大会決勝では木佐貫洋投手(旧:北海道ニッポンハムファイターズ)と投げ合ったおり、この世代の層の厚さを感じます。
2回戦でその松坂大輔投手擁する横浜高校と対戦し、7回まで1失点と好投しますが、
8回に松坂大輔選手にに本塁打を浴びるなど計6失点で敗退してしまいます。

松坂大輔(横浜高校)/第80回大会(1998年)

第80回大会(1998年):決勝戦の京都成章高校戦での達成です。
この試合はあまりにも有名ですので知っている人も多いかと思います。
以前に甲子園名実況 言葉だけで伝わる当時の試合で紹介しましたが、あの有名な「甲子園は清原のためにあるのか」は埼玉大佐の中でも非常に好きなフレーズですが、この時は「甲子園は松坂のためにあるのか」と心の中で叫んでいました。