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プロ野球不名誉な記録

ベストナイン

今回はプロ野球のちょっと残念な不名誉な記録について書きたいと思います。

これは2019年に書いた記事です。現在と異なる場合がある事を予めご了承ください。

ワースト連敗記録(1998年:千葉ロッテマリーンズ 18連敗)

先日(2019年6月1日)東京ヤクルトスワローズが球団の持つセ・リーグワーストの16連敗記録に並びました。しかしプロ野球の連敗記録としては、1998年の千葉ロッテマリーンズの18連敗が最長となります。あの連敗記録から21年たちましたが、いまだに鮮明に残っている人もいるのではないでしょうか。

当時のロッテは決して弱いチームではありませんでした。小宮山悟投手、黒木知宏投手の両エースに、野手陣もフリオ・フランコ選手、初芝清選手、小坂誠選手、福浦和也選手、堀幸一選手、平井光親選手など選手が揃っていました。実際4月には首位に立つこともあり、混戦パリーグになることも予想されました。

しかし、6月12日のオリックスブルーウェーブ戦で黒木知宏投手の完投勝利でパ・リーグのトップタイの6勝目を挙げた翌日の6月13日のオリックスブルーウェーブ戦より7月9日のオリックスブルーウェーブ戦まで約1ヶ月近く勝ち星に恵まれずとなってしまいます。18連敗も完全にぼろぼろとなっていたわけでもなく、延長戦までもつれた試合は6試合あり、5点差以上開いたワンサイドゲームも2試合しかありません。

特に当時の日本記録の16連敗に並んだ翌日の7月7日のオリックスブルーウェーブ戦では、黒木知宏投手の好投で2点リードのまま9回裏を迎えます。トップバッターはイチロー選手です。1998年の時点ですでに日本のトップ選手でした。しかしそのイチロー選手を見事三振に斬って取ります。これで後2人で連敗脱出となりますが、トロイ・ニール選手にヒットを浴び、一死一塁。続く谷佳知選手を討ち取りあと1人で勝利目前まで漕ぎ着けますが、ハービー・プリアム選手に同点2ランホームランを浴び、結局延長戦で敗れてしまいます。

しかし、この連敗は当時の日本の社会現象となりロッテのファンクラブの会員は増加しました。そしてそれから1年後の1999年7月7日は千葉ロッテマリーンズは勝率.561でパリーグ首位となります。(2位はゲーム差0で福岡ダイエーホークス、その前後の7/6、7/8も首位は福岡ダイエーホークスです。)

ノーヒットノーラン未達成(西口文也:元西武ライオンズ)

西口文也投手は西武ライオンズ一筋で通産182勝挙げた名投手ですが、こちらも有名な記録?として記憶に残っている人は多いと思います。「完全試合またはノーヒットノーラン達成まであと一歩」までいきながら記録を逃したのが3度もあります。

一度目は、2002年8月26日対千葉ロッテマリーンズ戦です。前年まで6年連続で二桁勝利をあげており。この2002年の順調な勝ち星を重ねていました。
いつかは大記録を挙げる可能性がある投手ですが、9回までノーヒットノーランを続けていましたが、2死から小坂誠選手に中前打ヒットでノーヒットノーランのチャンスを逃してしまいます。

二度目は、2005年5月13日対読売ジャイアンツ戦です。プロ野球交流戦開始元年となった年です。
ホームの西武ドームで、9回までノーヒットノーランピッチングを続けますが、上記のロッテ戦同様に2死から清水隆行選手ににスライダーを右翼席に本塁打を打たれノーヒットノーランを逃してしまいます。

そして三度目は、更に残念な結果となります。二度目のノーヒットノーランを逃した同年の2005年8月27日対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で9回終了時点で、四球、死球、ヒットも打たれていない完全試合のペースで試合が進みますが、西武ライオンズも得点がとれず延長戦となります。
そして延長の10回に沖原佳典選手にライト前にヒットを打たれて今度は完全試合の快挙を逃してしまいます。

連続打席無本塁打(赤星憲広:元阪神タイガース)

2528連続打席無本塁打の記録を残しています。しかし、本塁打を全く打っていないということはなく、
通産1276安打を放っており本塁打は3本を打っています。

本塁打0本のシーズンで打率.300以上を3回記録しているのは2リーグ分立後では、赤星憲広選手だけの記録となります。またシーズン本塁打0本の選手の中でシーズン最高出塁率記録を残しています。

2008年シーズンで.398 (646打席:176安打・73四球)を残しています。ちなみに、646打席、176安打、73四球は全て(0本塁打選手のシーズン最多記録)となっています。